HAUS | Hokkaido Artists Union studies

インタビューその1
林業と俳優 大川敬介さん

演技と生活をリンクする
日々を見つめて「深化」する俳優

Text : 渡辺たけし(HAUS)
Photograph : 長尾さや香
Place : The Icemans工房裏庭(恵庭市)
2022.8.28

HAUSアーティストインタビューは、札幌で活動するアーティストを、たくさんの人に知ってもらいたいという思いからスタートしました。第1期は2022年夏から2023年春に取材したさまざまな分野のアーティストを順次掲載します。

今回がその第1回目です。

札幌や北海道を見渡すと、芸術とは違う分野のお仕事をしながら作品をつくり続ける人たちが多いことがわかります。いわゆる「兼業アーティスト」です。

俳優の大川敬介さんは、「林業」への就業を目指しながら俳優業を続けています。「そういえば、ぼく自身も『林業』についてはよく知らないな」という興味が一番にありました。それとあわせて「林業と創作って、もしかすると、どこかでつながってるのかもしれないぞ」という勝手な仮説への好奇心がふくらみ、取材をお願いしてみました。

まずは、大川さんがどうして俳優を志すに至ったかを尋ねてみました。

ジャン・レノに憧れて俳優業へ
東京で芝居の基礎に出会う

ーよろしくお願いします。まず名前と生年月日をお願いします。

大川敬介です。1979年生まれ。

ー生まれはどこですか?

札幌市清田区です。今は札幌市北区に住んでいます。

ー大川さんは、俳優などのほかにもいろんなお仕事をしてると思うんですが、現在、生活を支えるためにどんな仕事をしていますか?

電化製品のサポートを電話で行なうという仕事をやっています。元々は長く東京でお芝居をしていたんですが、納得できるような芝居の活動ができなくなり、北海道に戻ってきました。その後は、北海道の劇団に入って、演劇の講師をしたり、CMや映像のお仕事をしたり、俳優関係の仕事だけで生活していました。でも、それだけだと、どうしても貯金を切り崩していくしかなくて。その後、劇団を辞めてフリーになり、何もなくなっちゃったので、じゃあ、ちゃんと仕事しようかと。それがコールセンターの仕事を始めたきっかけです。

ーコールセンターのお仕事って、今一番大変な仕事って言われてますよね。

研修はちゃんとありましたけど、もともと芝居のことしか知識がないし、電話かけてくる人と商品知識は同じレベルだから最初は大変でした(笑)。やっと最近、なにも見なくても応対できるようになりました。コールセンターの仕事を選んだのは、時間の融通がきき、芝居するのに都合が良いからです。

ー俳優の仕事をしようと思ったのは、どういう経緯ですか?

10代の頃、何もしたいことがなくて、映画ばっかり見てて。

ーどういう俳優に憧れましたか?

当時は、もうとにかくジャン・レノが好きでした。フランス映画もですね。流行ってたってのもあるし。リュック・ベッソン監督でジャン・レノ主演で最初に撮った「最後の戦い」とか。とにかく映画が好きだったんです。漠然と俳優になりたいと思いましたが、映画にはあまり関わりがなくて、結局、舞台ばっかりでした。

ー東京ではどこで演劇をしていたのですか?

専門学校を出た後に、最初は、秦建日子(はた たけひこ)さんという脚本家の養成所で、がっつりお芝居の勉強をしました。その養成所で講師をしていた「富良野塾」出身の築山万有美さんという女優の方に俳優としてのイロハを教えてもらいました。それは今でも自分の演技の根底にありますね。最近、改めてそれが大事だなって思っています。

※ 秦建日子=小説家、劇作家、演出家、脚本家、映画監督。2003年から2013年まで演劇ワークショップ「TAKE1」を主宰。2006年ドラマ化ヒットした「アンフェア」の原作者としても有名
※富良野塾=北海道富良野市にあった脚本家と俳優の志望者たちのため養成所。「北の国から」の脚本家 倉本聰が塾長だった。
※ 築山万有美=富良野塾出身の俳優。京都府出身。

ー稽古場はどこにあったの?

事務所は麻布十番にありました。当時は麻布十番のカフェ・ラ・ボエムっていうレストランで夜中働いて、昼にそのまま稽古場に通ってました。そこの養成所には2〜3年くらいいました。

食えずに札幌Iターン
兼業俳優という選択

ー秦建日子さんの養成所をやめた後は?

フリーでの活動を模索してたんですけど、俳優として東京で生活していく事に、次第に限界を感じるようになりました。30歳前後でしたので、今後の人生とか考えて、北海道に帰ってきました。

ー東京での生活は何年続いたのですか?

結局、12年で東京を出ました。ただ、20代の時に東京で知り合った友達は、自分にとっては大き存在でした。自分の成長過程を知っている友達だったので、それを捨てて東京を後にする感覚だったので、当時はかなり悩みました。それと比較しても、俳優を続けたいっていう気持ちが勝ったので、札幌に戻り、札幌の劇団で俳優を続けることを選択しました。

ーそのあと、札幌の演劇ユニット「イレブンナイン」に入団したんですね。このカンパニーに入ったきっかけは?

※イレブンナイン=札幌を中心に活躍する演劇カンパニー。

まだ東京在住の時、秦さんからのすすめで、一度、納谷真大さん(「イレブンナイン」主宰)演出の舞台に出させてもらったことがありました。それが、その劇団を選んだ理由の一つです。札幌の俳優に混じって、僕だけが東京から参加していました。北海道舞台塾の企画「正しい餃子の作り方」(2008.3札幌にて上演)というお芝居でした。

ー北海道が新しいステップだったんですね。やはり、また東京に戻りたい?

「また東京に戻りたい」という気持ちは、若干変化してます。今は日本じゃなくてもいいのかなということをボンヤリと思っています。精神的にもそうですけど、役作りのプロセスに関しては、東京でやってる人と、世界でやってる人とあまり変わりはない気がします。東京でやっていても、札幌でやってても、札幌以外の地方でやってても、例えば森の中でやってたとしても、すごい人たちはたくさんいることを知りましたし。でも、やってる以上はたくさんの人に観てもらいたいなっていうのはあります。単純に稼ぐお金の問題もありますし(笑)。

ーわかります。お金も重要です(笑)。

札幌は俳優だけで食えてる人ってほとんどいないと思います。俳優業だけで生活している人のことだけを「プロ」とは呼ぶわけではないなと、改めて今は強く思ってます。

ーHAUS(Hokkaido Artists Union Studies)のスタンスでいうと、専業のアーティストだけが、アーティストではないと考えています。札幌は、圧倒的に兼業アーティストが多いですよね。

特に俳優業に関していうと、この職業自体に「プロフェッショナル」という言葉が当てはまるのかという疑問を感じています。流暢な演技をする人が「プロフェショナル」というイメージがあると思うんですが、それはちょっと違うと思っています。どれだけ演技をしないかっていうことが、重要だと僕は思っています。ですから、俳優の「演技力」と「生業として成立しているか」ということは、直結していないと思うんです。北海道にも、専業俳優ではなくても凄い芝居するなって人が沢山います。

舞台人との出会い
そして、林業との出会い

ーなるほど。ほかに影響を受けた方はいますか。

「イレブンナイン」の活動のなかで、劇作家・演出家の山下澄人さんに出会えたことは、かなり衝撃的な出来事でした。

※山下澄人=小説家、劇作家、演出家、俳優。2017年、『しんせかい』で第156回芥川賞受賞

ー劇団「FICTION」主宰の方ですね。

山下さんとの作品づくりの中で、経験も肉体も精神もフルに使い果たさないと、本当に面白いと思うものはできないっていうことを、まざまざと感じさせられました。体の生皮を全部はがされた気がしました。実際にそう言われたわけではないですが、「お前は、本当にこの世界を捉えているのか?」「お前の真剣は本当に真剣なのか?」いうことを常に問われるような日々でした。今まで台本に書かれた役しか見えてなかったものが、全方位対して開いたような感覚は、ものすごくあるんですよね。人間を演じるヒントは、日常の中にたくさん隠れていると思います。最近は人じゃないものばっかり演じてますけど(笑)。羊屋白玉さん演出の指輪ホテル「ポトラッチ」(2021.12白老にて上演)で自分が演じたのは、山の精霊みたいなものだと思っています(笑)。

※羊屋白玉=指輪ホテル芸術監督・演出家・劇作家・俳優。HAUSメンバー。

指輪ホテル「ポトラッチ」撮影: yixtape

ーその他は、最近どんな芝居に出演していましたか?

最近だと、櫻井幸絵さん演出の劇団千年王國「からだの贈りもの」(2021.12札幌にて上演)です。もうすぐ、再演もあります。もともといろんな演出家のもとでやりたいっていう希望がありました。福岡に行って韓国のコンテンポラリーダンサーの振り付けの作品にださせてもらったり。あとは、コンドルのスズキ拓朗さんや、山海塾の石井則仁さんの作品に出演しました。

※櫻井幸絵=札幌を代表する劇団「千年王國」を主宰。けれん味溢れる舞台には定評あり。
※コンドルズ=コンテンポラリー・ダンスカンパニー。男性のみ学ラン姿でダンス・映像・コントなどを展開。世界20ヶ国以上で公演。
※スズキ拓朗=ダンサー振付家・演出家チャイロイプリン主宰、コンドルズ所属。Eテレで振り付けなども。
※山海塾=1975年に設立された天児牛大主宰の舞踏グループ。世界43ヶ国のべ700都市以上で公演を行っている。
※石井則仁=舞踏家、振付家。キュレーションカンパニーDEVIATE.CO芸術監督、山海塾所属。

ー身体表現が多いですね。「こんな表現をしたい」という目標はあるんですか?

到達点ってあるんでしょうかね?演技の正解もその都度あるんでしょうけど、本番の舞台が終わった数年後、なにかしらの日常生活をしてる時に、「あ、これだ!」って気づくことがあります。目標は果てしなく遠くにある気がします。演技というものがなにかわからないから続けている気がします。

ーお話を聞いていると。道を求める侍っぽいですね(笑)

侍っぽいというのは、昔からよく言われます(笑)。

ーこうやって俳優の仕事をしながら、今は林業にも興味があるとききました。林業と出会った経緯をお話ししてもらっていいですか?

2020年にアーティストの竹中博彦さんに、話の流れで「大川くん、キコリをやってみない?面白いよ」と教えてもらいました。恥ずかしい話ですが、林業という職業があるっていう事もその時まで知らなかったので、「何ですかそれ?」ってなったんですけど。多分、瞬間的に「面白そう!」って自分のセンサーが反応したんですよね。

※竹中博彦=北海道を中心に氷と雪を使った美術作品を作り続ける「The Icemans」の主要メンバー。今回の取材場所は、竹中さんの自宅庭を拝借した。

林業に惹かれる理由
不安定な足場

思い返すと、2018年の飛生芸術祭(白老町)で、石井則仁(山海塾)さんの作品に出たことがあったんです。クリエイションの過程で、飛生の森に集まる動物の神様をモチーフに、出演者がそれぞれ自分で振り付けを考えるという宿題がありました。自分は馬の神様をモチーフとして選びました。その本番の中で、石井さんから、舞踏の技の一つに「伐倒(ばっとう)」という技術があるということを教えてもらいました。木を切り倒した時のように、自分の体を、そのまま後ろ向きにバタンと垂直に倒すという技なんです。

石井則仁振付「神景」 撮影:yixtape

ー何もない地面に垂直に倒れるんですか!?

森で後ろ向きのまま、受身を取らずバタンと倒れるんです。それを見た時に衝撃を受けました。多分その記憶もあって、林業に繋がったんだと思います。結局、今、ライスワーク(ご飯を食べるための労働)として働いているコールセンターの仕事は、芝居に直結するわけではないので、それを変えたいなって思ったんです。林業と俳優の二つをライスワークとライフワークにしたいと思うようになりました。2021年から林業研修として白老町の林業の会社で研修を受けています。今すぐ始めてしまうと、どうしても賃金が下がってしまうので、まだ転職したわけではないんですけど、今は準備段階です。月に何回か勉強に行っています。

ーどのくらいの期間、林業の勉強するのですか?

3年後ぐらいに転職できたらいいなと思っています。今は、いろんな人の話を聞いて、情報を仕入れてる段階です。けれども、舞台と同じように、国や自治体からの補助金をもらわないと、林業も厳しそうだということがわかりました。特に自分がやろうとしている自伐型林業っていうのは、特に厳しいそうでして。たくさんのネットワーク必要だと思っています。去年は、月に1回の研修を半年間やりました。研修が終わった人は、自分ではじめるなり、どこかの会社に入るなりしていると聞きました。人それぞれなんです。今、やっている仕事もあるので、ガラッと生活を変えることができないのが、もどかしいんですけど、三年後にスタートできればいいなと思っています。今はガッツリ「林業やってます!」って胸張って言えるわけじゃないですけど、準備はしています。歩みは遅いかもしれないですけど。

※ 自伐型林業=一気に伐採するのではなく長期的な視野で森を育てていく林業

ー林業のどこに惹かれたんだろうね。

林業の研修で、初めて自分が立木を切った時、ものすごい音を立てて木が倒れていくんですが、その音がものすごく美しかったんです。鳥肌がたったのを覚えています。もちろん命懸けで舞台はやってますけど。舞台をしてても実際に死ぬことは、ほとんどないわけですよね。でも、林業に関していうと、一歩間違えると本当に死んでしまうわけです。

ー命がけですね。

実際に自分もチェーンソーで失敗して、ちょっと危ない目にもあってますし。重機にぶつかってしまった人も実際見てますし。そうなってくると、木を切る時の準備段階として、「どこを切ったらいいのか?」、「どの方向に倒したらいいのか?」、「この切り方で合ってるのか?」っていう感じで、頭も身体もフル回転させないといけなくて。山の中って平らじゃないですよね。安定できないことですごく鍛えられる気がしています。役者をしているときの不安定な感覚にも似ていると思います。

ー不安定というのは、体幹的にっていう意味だけではなく、精神的にという意味もですね?

林業している時の感覚は、精神的にも敏感になります。舞台上で芝居している時の感覚とあまり変わらない気がします。なので、森で働くっていうことと、舞台上で芝居しているっていう感覚がものすごく近いっていうことを体感したんです。それで、林業も面白いなって思い、始めたいなと思ったんです。祖父が大工をしていたというのも、何かしら自身のルーツとしてあるのかもしれません。祖父も材を取りに山に入っていたというのも聞いたことがありました。でも、仕事としてやるには経験も全然足りないですし、林業を自分の仕事にするのは、まだまだ一人では怖くてできたもんじゃない。

俳優と林業は兼業できるのか?
木の皮剥きの密かな悦楽

ー俳優と林業の兼業を希望ですか?

俳優とも兼業していきたいと思っています。お金をかせぐことが目的の労働の中だけにいると、俳優としてのセンサーが閉じてしまう気がしています。生活として働いてる時も、舞台の感覚は錆び付かせたくないんです。俳優としての感覚を研ぎ澄ますためにも、林業が自分にとっては適してるんじゃないかなって思っています。他に俳優の感覚を磨ける職業がありそうだったら教えてください(笑)

ー兼業のアーティストって、お金を稼ぐ仕事(labor)と作品作り(work)をどう使い分けているんだろうね。それはArtis Ttreeのテーマでもあるんです。

たぶんその人なりに、そういった感覚をリンクさせながら生活してるんだと思います。今までは芝居が第一優先としてありましたけど、今は家族もいますので、芝居をしてるっていう時点で迷惑かけてるなという思いもありますが、パートナーもパフォーマンスの仕事をしているので、わかってくれていますけれど。夫婦で、お金のことや今後の仕事について話し合うこともあります。そのことは、しつこいぐらい話すようにしてます。自分一人だけの生活ではないので、そこもあくまでチームとしてお互いにやりたいことができればいいなと思っています。

ー話は変わるのだけれど、最近、木の皮を剥くワークショップなどをしていると聞きました。「木の皮を剥く」活動って?

木の皮をひたすら剥きますね。

ーやってみると、面白いですよね。

面白いですね。自分の癖で、何に関しても芝居の役作りとか、演技の感覚に絡めちゃうんですよ。一般的に「役者は、役の仮面を付ける」と言われますが、僕の感覚としては「仮面を外す」ってほうが近いんです。この木の皮を剥くっていう作業が、演技の感覚とリンクすることが多くて。木の皮を剥くと、想像していなかった木の姿が現れます。普段では見れない姿が見れるわけです。剥いてみたら、その中に虫が蠢いていたりとか、木の中が腐っていたりとか。木の内部の本当の色は、こういう色なんだと分かったり。すごい美しいなって単純に思うんです。伐採したばかりの木の皮は水分を含んでるから、ものすごくスルスル剥けるので単純に気持ちいいです。剥け方は木の種類によっても違います。面白いから、勝手にやってる感じです(笑)。

ー勝手にやってる感じね(笑)。

この間、発見したことがありました。伐採してしばらくたった乾燥した木を貰って剥いでいたんです。一回濡らして水分を含ませると、剥きやすくなるんですよ。木の中にも微生物なんかもいるんだろうね、濡らして剥くと木の匂いが変わってくるんです。そのときは、海の匂いに似てるなって思いました。

ー不思議ですね。

多分、木の中にいる微生物が腐ったような匂いだと思うんです。海の匂いなんかも、生物が腐った匂いなのかもしれませんね。自分の記憶の中でのドリームビーチの匂いでした(笑)。海の匂いも、本質的には、生き物の死骸が堆積した匂いなんでしょうね。「死」の匂いだと思うんですよね。すごく面白いと思います。こういうふうに勝手に想像していることが、俳優としての役づくりにつながればいいなぁと思ってます。

ー木の皮剥きのワークショップはどんな感じでした?

参加人数は少なかったんですけれど(笑)。でも、ワークショップをしたことで、多分、僕自身はすごく癒されたんですよね。木の皮剥きって、やってみると好きな人はたくさんいると思うんですよね。

ーぼくも、先日挑戦しましたが、これは創作の時の感覚に似てるなと思いました。

思いますよね!木の皮を剥いている時って、脳がすごく動くんですよね。ここで木の節に引っかかるようだったら、どの方向に、どういう力を入れて剥けばいいかとか。

ーわかります。攻略的な目線ですね。では、将来的には、林業しながら俳優やっていこうと?

そうですね。俳優は体が動かなくなるまでやりたいっていう気持ちはあります。しかし、俳優という仕事が生業になるかどうかも分からない。でも、俳優業も労働の一つと捉えているので、死ぬまで続けるという目標だけは二十年以上変わってません。

ー仕事の概念が「お金を稼ぐこと」となったのは、わりと近代になってからなんですって。自己実現だったり、「それをしていきたい」という欲求が仕事であるはずだと、労働を専門に研究している人たちは言いますね。

そうかもしれないですね。

俳優としてのモチベーション
さらに深くまで潜りたい

ー将来的に、演技指導の仕事などしてみたいという気持ちはありますか。

CrackWorks「undercurrent」 撮影:クスミエリカ

もちろん頼まれればやりたいですね。演技指導される側の人に対して、それこそ皮を剥いてしまうかもしれないから、指導される側も大変なんじゃないないかと思いますが(笑)。

ただ、基礎を教えてくれた築山さんがそういった指導だったので、そこは受け継いでいるかもしれません。山下さんの作り方も物凄く影響を受けていますし、実際自分が講師をしていた時もひたすら学生たちの演技の固定概念を外すような指導をしました。演劇ではないけれど、最近、「CrackWorks」っていう集まりを作って、YouTubeに映像作品をあげています。ただ、自分で作品をつくってみてわかりましたが、自分自身は、作り手よりも、役者=プレイヤーを続けたいという思考が強いんだなっていうのは再認識しましたね。でも、特にこの札幌では、プレーヤーだけでやっていくのはどうしても難しいので、自分から作品を作っていた方がいいのかなとは思っています。

ー大川さんが、作品を作り続けるモチベーションってなんなんだろうね。

僕は、今生きている人に対して演劇をしてない気がします。むしろ、死者に対してなのかな。僕の中には、常に世の中に関する絶望があるような気がします。芸術のシステムや社会にも、政治にも。僕がやってる演劇の根底に何があるのかなって改めて思った時に、まず絶望があって、その上に怒りと祈りがあると思います。2020年にサッポロ・ダンス・コレクティヴで上演した「さっぽろ文庫101巻 『声』」に参加したときも、コロナで苦しんでいる人たちに対して、何もしていないように感じられる政治に対しての怒りが、僕の演技の根底にはありました。

※ サッポロ・ダンス・コレクティヴ=札幌を中心としたクリエイターが集い、提案、実験、対話し、ダンスを創造する集団。2018年から作品を世に送り出している。HAUSの母体。

ーあの作品では、台本の一部も書きましたよね。

当時は、コロナで苦しんでいる人たちの声をサンプリングしてるっていう感じでした。実際にコロナに罹患した方の声と、札幌に点在しているホームレスの方たちの声と、自分がやっているこの俳優としての声、劇場の現状などをいろいろサンプリングしてテキストを書きました。

ー俳優の仕事、自分の生活、社会に対する思い、いろんなものの距離が近くなっているんですね。

全部がリンクしてるような感じがありますね。リンクすることで、さらにそれぞれが「深化」していくイメージもあります。このインタビューの最初の話題にでた監督リュック・ベッソンの映画「グラン・ブルー」も、ダイバーがフリーダイビングで、海に深く潜るって話でした。潜り過ぎると戻ってこれなくなっちゃうってのも演技と一緒かな。

ー次の本番はいつですか?

次の本番は、劇団千年王國 「からだの贈りもの」再演です。HIVエイズに感染した末期患者の役を演じます。

ーまた、激しく体重を落とすのですか?初演では12キロ落としたと聞きました。

レベッカ・ブラウンの原作の一行目は「今度の人は見た目に一番不気味だった。本当に病そのものに見えた。」という体の描写から入ってるので、「じゃあそれはそういう体にならなきゃいけない」と思っています。映画「グラン・ブルー」ではないですけれど、ギリギリまで潜りたい気持ちはあります。

ー今日はいろいろお話し聞けてよかったです。

話がいろいろと、とっ散らかって、すみません。

ーそんなことないですよ。ありがとうございました。興味深かったです。

※残念ながら、この後、劇団千年王國 「からだの贈りもの」は、新型コロナウィルス感染対策のため中止になりました。この時期の様子もアーカイブしたいという考えから、この注意書きを付記したうえで、あえて記事はこのままにさせてもらいました。

林業に従事することを目標にしながら俳優活動をする大川さん。やはり、「木に触れること」と「演じること」に共通点はあるようですね。とても興味深いお話でした。

こんな感じで、兼業で創作活動している人にインタビューをしてみようかなと思っています。

このインタビュー企画が持ち上がった時から、ずっと考えていたことがあります。

札幌には子育てをしながらアーティスト活動している人たちがたくさんいます。「育児」と「アーティスト活動」を兼業している人のお話も聞いてみたいなと思います。

ということで、2回目は「育児中アーティスト」にインタビューしてみたいと思っています。

インタビューその2
美術家 森本めぐみさん

今回インタビューされた人 大川敬介
1979​​年 札幌市生まれ。俳優。秦建日子氏に2年間師事後、様々な劇団やダンス作品に参加。2021年よりCrack Worksを主宰し、演劇に捉われない作品や企画を発表。最近の俳優としての出演は、指輪ホテル「ポトラッチ」(しらおい創造空間『蔵』2021年)、劇団千年王國「からだの贈りもの」(2021年初演、2023年再演予定)

今回インタビューした人 渡辺たけし
1971年小樽生まれ。公立中学校数学教員。劇作家、演出家。いろいろな地域の人々を取材し演劇作品などにしている。HAUSでは、アーティストの労働条件や人権について担当。